ファッションデザイナーである柳川荒士が元プロボクサーだったことが話題になっていますね。
柳川荒士さんですがJOHN LAWRENCE SULLIVANの立ち上げ人であり、元プロボクサーという異例の経歴を持っています。
今回は柳川荒士さんの経歴、ボクシングの実力について戦績からも考察していきたいと思います。
柳川荒士のプロフィール・顔画像
昭和50年(1975年)春に広島で誕生。
- 生年月日:1975年3月17日
- 出身:広島県広島市
- 学歴:中央大学卒業
- 身長:170cmほどと考察
- 嫁:鈴木えみ
フライ級ボクサーの平均身長が161〜162cmなので、10cmセンチ大きいということは170cmくらいかと仮説ができます。
階級にしては身長が高く、対戦相手よりも大抵10センチは大きかったので、距離を取って戦うスタイルでした。
柳川荒士の経歴まとめ
柳川荒士さんの大きな経歴は主に2つあります。
・プロボクシング選手時代
・ファッションデザイナー時代
こちらの2つについて時系列でまとめていきましょう。
小学生の時からボクシングを始める
お父さんがアマチュアボクシングの指導者だった柳川荒士さんは、小学校5年生からボクシングを始めました。
広島市立己斐上中学校卒業をし、崇徳高校時代にはインターハイで優勝する成績を残しています。
また、中央大学時代にも全日本選手権も制覇をしています。
その後は1996年に開催されたアトランタオリンピックに出場を目指したが、アジア予選で韓国選手に敗退をしてしまった。
高校、大学と全日本では1位になれる実力を持ったスター選手だったことが分かりますね!
1997年に具志堅用高に誘われ、ボクシングのプロデビュー
1997年、白井・具志堅ジム所属でプロボクサーになりました。
この時、柳川荒士さんの年齢は22歳。
4年間リングに立ち、戦績は12戦9勝(3KO)2敗1分。
勝率は75%と優秀に見えますね。
しかし、日本のトップランカーと比較をすると「超優秀」とは言えない戦績とも言えるでしょう。
トップランカーである井上尚弥は24戦24勝で勝率100%という世界。
ボクシングで名を挙げている選手の勝率は異常ですし、厳しい世界ということが分かります。
2000年10月19日にTKO負けをきっかけに引退
スーパーフライ級日本ランカー対決で川嶋勝重にTKO負けをしてしまい、引退をしました。
9ヶ月のブランクがあった中での勝負でしたが、柳川荒士さんの心の中では「これがラストファイト」だと心に決めていたらしい。
実は試合前からこの一戦で引退すると決めていたので、試合後ロンドンに飛び、1カ月くらい滞在しました。
川嶋勝重はスーパーフライ級のチャンピオンにもなった男です。
そんなトップランカーとの勝負をTKO(判定)まで持ち込んだ、柳川さんの実力は相当すごかったと思われます。
25歳の時にデザイナーに転身
ボクシング引退後は洋服の転売でご飯を食べていました。
柳川さんがファッション好きだったこともあり、自らジャケットのデザインをしたり、デザイナーとして独立を果たした。
2003、2004秋冬より、ブランド名「JOHN LAWRENCE SULLIVAN」でデビュー。
JOHN LAWRENCE SULLIVANの名前の由来は、ボクシング初代ヘビー級チャンピオン、ジョン・ローレンス・サリバンから付けたようですね。
メンズウェアを中心にエレガントな世界観を重視するブランドで、2010年からは、レディースラインも展開し事業を拡大していった。
柳川荒士のボクサーとしての実力は?
柳川荒士さんですが、ボクシングの実力はかなり強かったと言えるでしょう。
- 高校、大学で全日本制覇を達成
- 戦績は12戦9勝(3KO)2敗1分(勝率75%)
- 日本チャンピョンとTKOまで粘る
しかし、プロとして長く続けられるほどの実力がなかったことも事実。
本人曰く日本チャンピョンの川嶋勝重との試合で「プロの厳しさを教えてもらった」とコメントをしていますし、格闘技の世界で生き抜いていく厳しさを感じますね。
アマチュア時代は無双をしていたが、プロの世界では長くは通用しなかったと言えるのではないでしょうか。
ただ、現在はファッションブランドを立ち上げて、異才を発揮しているため引退の選択は正しかったのではないかなと思いますね。
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